|
发表于 2013-9-21 09:48:51
|
显示全部楼层
ラジオは恒例の〈今年の回顧〉をやっている
。 いずれにせよ、年が改まるのはありがたい。辰夫にとって、一九六〇年は面白くない年であった。 母家のおかみは井戸端で障子の桟《さん》を洗っている。下宿している学生たちは、殿様蛙《とのさまがえる》を残して、みな、郷里に帰ってしまった。殿様蛙と顔を合せたくない辰夫は、終日、万年床の中でラジオをきいていた。 ラジオは恒例の〈今年の回顧〉をやっている。安保反対闘争、樺美智子《かんばみちこ》の死、アイゼンハワー訪日中止、ハガチー事件、岸内閣崩壊、浅沼稲次郎暗殺、三井三池スト解決などについて、評論家どもが、どうでもいいようなことを喋《しやべ》っている,社会現象では、ダッコチャンブームとファンキー族の登場が代表だそうだ。浩宮《ひろのみや》誕生、裕次郎の結婚といった|おめでた《ヽヽヽヽ》から、雅樹《まさき》ちゃん誘拐《ゆうかい》殺害事件といった陰惨なものまである。外国のことだが、ケネディという男がアメリカの大統領になった。 失業者にとって、ラジオは心の友である。慰めてくれるのはラジオだけだ。局を変えると、今年のヒットパレードのベストテン発表が始まっていた。 ベストテンの一位は「死ぬほど愛して」である。たしか、「刑事」という映画の主題歌だ。二位は「太陽がいっぱい」で、以下、「黒いオルフェ」「月影のナポリ」「月影のキューバ」「悲しき16才」「悲しきインディアン」「ビキニ?スタイルのお嬢さん」「メロンの気持」「ムスターファ」(別名「悲しき60才」)の順である。これらの歌は、辰夫の生活のある瞬間と微妙にからみあっている。たとえば、馘首《かくしゆ》されて、街をさまよっていたとき、耳に入ってきたのが「太陽がいっぱい」、ニーノ?ロータのあの哀切なメロディであったという風に。この夏はどこを歩いても、「太陽がいっぱい」が流れていた。失業しなかったら、あんなに身に滲《し》みることはなかっただろう。だから、ニーノ?ロータの曲に象徴される年と別れられるのは、まことにありがたい。 一九六一年の三個日《さんがにち》は、殆《ほとん》ど、万年床の中にいて、気がむいた時に、冷えた雑煮を食べた。 雑煮の冷えたのほど始末に終えないものはないが、おかみが戸棚《とだな》に入れるのが早朝で、辰夫が起きるのが昼近くだから、致し方ない。おかみにしてみれば、辰夫と殿様蛙だけが正月に残っているのが面白くあるまい。 さすがに、三日になると、辰夫は近くの神社に初詣《はつもう》でに出かけた。下宿に戻《もど》ると、おかみが縁側に出てきて、「前野さん、ごらんよ,TUMI バッグ。土人がピアノひいてるよ。よく、ひけるわねえ」 と声をかけた。 辰夫が茶の間のテレビを覗《のぞ》いてみると、アート?ブレーキーが演奏しているのだった。 文化社の小さな看板を見つけるまで、辰夫は田村町寄りの新橋|界隈《かいわい》の細い道を十五分ほど歩きまわった。松の内とはいえ、中小企業の人たちはもう働いており、屠蘇《とそ》きげんの男がふらふら歩く姿も見られた,セイコー 腕時計。 会議は二時からだが、初めてなので、早く着くようにしたのである。小さなビルの三階にある編集部のドアをノックしたときは、一時四十分だった。 二、三度、ノックしたが、返事がない。思いきって、ドアを押すと、デスクを詰め込めるだけ詰め込んだ狭い部屋の左|隅《すみ》にいた眼鏡の男が、「なに?」と、押売りに対するように言った。 辰夫が立ち尽していると、「なんだい?」 と、嘲笑《あざわら》うように、また、言った。「前野と申します。二時からの会議に出るように言われまして」「きいてないな」 眼鏡の男は妙な顔をする。「城戸先生からそう言われたもので」「だからさ。城戸先生から何もきいとらんと言ってるのよ」 男は長い足をもてあます恰好《かつこう》で、回転|椅子《いす》を左右に動かしている。「困ったな」 辰夫は、思わず、呟《つぶや》いた。「ここにいても、よろしいでしょうか」「いるのは、構わんよ。……そうそう、編集会議は三時からに変更になったんだ」 それで、だれもいないのか--------------------------
?mod=viewthread&tid=41308&pid=48026&page=1&extra=page=1#pid48026
?mod=space&uid=54301 |
|